【其の四】中川、バスケやめるってよ

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こんにちは、中川です。

第1話第2話第3話からの続き。

今だから話せる実話を
あなたにシェアします。

僕がプロコーチとして独立し、
地元山口で活動をし始めた、
今から3年半前のお話です。

オープンなバスケット教室を
地元下関で初めて開催しようと
意気込んでいたのです。

「よっしゃー!やるぞ!」

気合を入れて
開始1時間前には体育館入り!

レッスンに向け、
入念に準備を行っていました。

開始10分前。

ぼちぼち誰か来るかなぁと
ソワソワしながら
受講者さまを待っていました。

ですが、、、

時間が過ぎても誰も来ない・・。
待てども待てども誰も来ない・・。

なんと
その日のクリニック参加者は
0人でした・・。

忘れもしない、
僕の主宰するバスケット教室初日の
苦い思い出です・・。

「告知の時間と場所
間違えてないよね?」

あのとき何度も、
自分の不手際を疑いましたが、

何回見ても
情報は合っています。

9年務めた会社を辞め、
覚悟を決めて飛び込んだこの世界。

完全に自分の力不足が原因ですが、

このときは

「バスケットで生きていく・・」

これが想像以上に
厳しいものだと痛切に感じました。

誰もいない冬の体育館で
寒さと孤独が一気に襲ってきました。

あのときの
孤独感は今も忘れません。

プロコーチと名乗った身ですが、

プロとは結果がすべて。
結果はすべて自分次第。

下を向いている暇もなく
その場で出来ることを考えました。

その場で少しでも
明るい未来につながる行動は

「自主練だ!」
と思い、一人で
フットワークを行っていました。

と、、その瞬間・・・

「バタン!」
とドアが開く音がしました。

(受講者が来た!)

と思い、
視線を向けた先にいたのは、
見覚えのあるあの方でした。

「おまえがバスケ教室やるって
聞いたけ、のぞきに来たんじゃ。」

中学時代のバスケ部の恩師、
小林先生でした。

…バツが悪い。。

開始時間をとっくに過ぎているのに、
自分一人だけがそこで
ゼハゼハやっているのです。

「なんか、誰もおらんのか?」

事情を察し、
急きょ、小学2年のお孫さんを
電話で呼んで下さることに・・

お孫さんが来るまでの30分間。

「久々にお前とバスケやるかのぅ。」

と先生が
僕のシューティングの
リバウンドを取って、
パスをしてくださると言うのです。

中学時代、
小林先生がコワ過ぎて、
リバウンド取ってくださいなんて
死んでも言えなかったけれど、

このときは甘えることにしました。

先生は僕にとって
お父さんのような存在でした。

何かと多くを語らない方ですが、

このとき小林先生は
間違いなく僕にこう
メッセージしてくれていました。

「頑張れよ!応援してるから。」

先生は武骨で、上手いことを
言うようなタイプでは全くなく、

中学時代、子供ながら
不器用な生き方をされている人だと
思って見てました。

昔からバスケ指導も
”地味にコツコツ”

とにかく要領と言うものに
無頓着なのです。**

そんな先生が
傷心の僕にしてくれたことは
気恥ずかしくもありましたが、
本当に嬉しかったです。

先生はその日からも
バスケット教室に
毎回顔を出してくれました。

来れない日は
わざわざ連絡をしてくださるんです。

一番しんどいときに
支えてくれた一人は
小林先生でした。

先生がいなければ
今もぜったい
頑張れていないと思います。

あのときは
本当にありがとうございました。

そうそう、、

独立してから
ありがとうの意味を
噛み締める毎日でした。

ありがとうって
感謝するときに使いますが、

「有るのが難い=当たり前じゃない」

もう、、、
「当たり前じゃありません」と言って
頭を下げようかと思うぐらい
人に感謝する日が増えました。

当たり前なんて何一つないんです。

支えてくださる方がいなかったら、
必要としてくださる方がいなかったら

僕は生きていられませんでした。

無力でした。
本当に自分の無力さを
身にしみて感じました。

ここでは書ききれないぐらい
色んな方の支えがあって
今も活動を続けることが出来ています。

本当に有難うございます。
「当たり前じゃありません。」
皆さまのお陰で生きて居られています。

・・

まさにゼロからスタートした
コーチとしての人生ですが、

その後も、
なかなか参加者が
増えることはありませんでした。

2~3人ぐらいで
いつもやっていました。

ただ、そんな中、
いつも練習に来てくれた子が
いたんですね。

中学2年生の
S君と言います。

ポジションはPG。
パスが大好きで
プレースタイルが
僕と同じ匂いがするのです。

毎日彼とスキル練習をしたあと、
最後に1対1をやっていました。

「身体がなかなか大きくならなくて・・」

いつも見学に来る
お父さんの相談に乗りながら、
彼ともよくバスケットの話をしました。

彼には
PGとしての視野や感性、考え方など
イロハをかなり教え込みました。

どんどん
上手くなっていくので
自分の子供のように感じました。

僕が彼にバスケ指導するなかで
常に意識したのは、

==========
たった1人でも全力で教える
============

ということでした。

毎回の練習で
すべてを出し切りました!

彼が中学を卒業するとき、

「高校に特待で入れました!」

と報告をもらったときは
自分のことのように嬉しかったですね。

S君のバスケット人生に
貢献出来て良かった。

一つ一つの練習と
一人一人との出会いを大切にしていたら
そこから雪だるまのように
参加者が増えてきました。

前回にも書いた、

おーい!
おれはここだーと叫び続けていたら、
山口県外からも
たくさん依頼を頂くようになりました。

本当にこの時は、
日本各地どこへでも行きましたね。

たった一人の女の子のために
愛媛の離島に行くこともありました。

小学4年生の男の子に会いに
愛知にも行きました。

沖縄でたった一人の
社会人プレーヤーの方に
バスケ指導したこともあります。

一つ一つの出会いとご縁を大切に。

全力でバスケ指導させて頂きました。

これがプロコーチ1年目の感じですね。

・・

次回、
僕がバスケット指導を
するときの根っこの部分について
書いていきます。

人とは違う
特殊なバックボーンが
僕のバスケ観、指導観を創っています。

「その人はその人らしく」

今の指導観に至った経緯について
エピソード交えてお伝えします。

第5話はこちら

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考えるバスケットの会 会長 中川直之
学生・社会人で10度の日本一を達成するなかで培った、”考えるバスケット”を全国のさまざまなプレーヤー、コーチに広める活動を行っています。

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