【其の三】ふつうの中学生が全国2位になったお話。

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こんにちは、中川です。

お待たせしました!

『ふつうの中学生が全国2位になったお話。』

第1話
第2話
からの続き。

自分のバスケット人生は
本当にコーチや仲間に
恵まれたものでした。

ただ、、この中学のときは
ちょっと出来過ぎじゃないかと
いま振り返っても思います。

1年の終わりと2年の春に
奇跡の転校生が現れたのです。

バスケットの神様が
味方してくれたと
いまでもそう思っています。

・・

僕の中学は
山口県下関市の
いちばん東側。

山ではクワガタと
川ではうなぎがよく獲れる、
そんな田舎町にある学校でした。

地域がら、
背の高い人を
町で見たこともないし、
学校内にもバスケットで
インサイドを張れるような
大っきな人はいませんでした。

当時のバスケ部同期では、
双子の弟和之が
一番大きいぐらい。
(そんな和之もガードの身長・・)

そこへなんと大型の
転校生がやってきたのです。

朝の朝礼で
すぐに目がいきました。

180cm!

で、、デカイ!!

しかも聞けば、

「バスケ部に入りたい」
と言うではありませんか。

一人は
愛媛の今治からやってきた
堺大輔。

なぜか全身が
浅黒く焼けてて、

ガシッとしてて
ジャンプ力が
むちゃくちゃありました。

当時アメリカのドリームチームが
世界中を賑わせていましたが、

その米国代表にちなんで
「ベイ」というあだ名が
自然と付けられるぐらい、
強烈なインパクトがありました。

もう一人は
岡山の倉敷から来た
田中一浩。

きっちり中分けの
キムタクみたいなロン毛が
田舎の中学生には衝撃的で、
今もこの時の印象のまま
ロン毛の「ロン」と呼んでいます。

この”ベイ”と”ロン”の

気になるバスケ部
練習初参加・・・

堺はドリブルやキャッチなど
ボールスキルが大の苦手で、

ガッシリした体を支える
スタンスがしっかり取れず、
バランスを崩して
コけることもしばしば。

ドリブルを突けば、
ボールをしょっちゅう
蹴とばしていました。

フットワーク練習も
かなりしんどそうで

「これは鍛えがいがあるのぅ」

が小林先生の第一声。

岡山から来た田中は
ひょうきんな性格で
私生活も破天荒!

校内で悪さをし、
職員室に呼び出されることも
しばしばでした。
(どんな悪さか書けないレベル**)

そんな荒い性格が
プレーにも出ていました。

「髪を切れぃ!」

が小林先生の
第一声だったと思います(笑)

今、バスケットコーチを
している僕の立場で
この二人を見るとしたら、

伸びしろは相当ある!

だけど、時間が足りない・・

という感じでした。

ですが、そこは小林先生。

「バスケットには時間がかかる・・」

これを誰よりも理解し、
必要な練習を組んで行い、

この二人をたった1年で
とんでもない選手に変化させたのです。

「堺、田中、こっち来い!」

練習が終わったら
毎日のように
個人レッスンを敢行していました。

チーム練で
足りない部分を
個別指導で徹底カバー。

堺と田中を
マッチアップさせては、

得意の
「ほー!」
で喝を入れながら、

「構えぃ!」
「肘を張れい」
「腰を落とせ」
「上に飛べい」
「ボールを下げるな」

など、実戦で必要な動きを
ひたすら体に覚えこませていました。

バスケットって
外しちゃいけないポイントが
ありますよね。

諸々の姿勢とか
スタンスとか
ステップワークとか
ボールの扱い方とか・・etc

本当のファンダメンタルの部分です。

「今日しっかり出来んかったら
明日も出来んぞ、ほー!」

中学バスケが
建物で言う、
土台作りだとしたら、

ネジの緩みとか
ちょっとしたゆがみとか
そうゆうのを一切妥協せず
徹底指導するのが小林先生でした。

とにかくマメでした。

「バスケは潔癖じゃないとできん。」

卒業後、小林先生と
バスケットの話をすると
いつもこの言葉が出てきます。

それぐらいに
丁寧に指導していただきました。

僕らのライバルであり、
全国上位入賞もしていた、
下関の長府中というチームが
マジ強くて、

そこにはインサイドもいて、

この二人の成長なくしては
絶対勝ち上がることは
出来ませんでした。

堺はパワー系。

田中は今で言うストレッチ4。
(外に引っ張れるインサイド)

堺は気持ちがよわい部分もあり、

長府中との初対戦では
「お腹が痛い・・」と
ライバルとの戦いを避けたぐらい・・

田中は
イキったところもありますが、
粗削りでミスも多く
実戦では諸刃の剣でした・・

タイプも性格も違う
この二人ですが、

その後、
全国でとんでもない
コンビネーションプレーを
炸裂させます。

二人の長所が
完全に掛け合わさりました・・・

またあとあと
詳しく書いていきます。

(つづく)

追伸:

小林先生は
教頭先生になるオファーを
ずっと断っていたそうです。

「部活が見れんくなる」

これを理由にずっと
渋っていたそうですが、
最後は立派な校長先生にまで
なられました。

小林先生が定年を迎えた退任式、
双子の弟和之が
アメリカから緊急帰国し、
卒業生を代表して
大きな花束を渡してくれました。

すごく喜んでくれていました。

教え子を
すごく大切にしてくれる先生は
今も変わらず、みんなからの人気者です。

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考えるバスケットの会 会長 中川直之
学生・社会人で10度の日本一を達成するなかで培った、”考えるバスケット”を全国のさまざまなプレーヤー、コーチに広める活動を行っています。

視聴者からのコメント

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2 件のコメント

  • こんばんは。
    当時は水飲めなかったなぁとか練習時間長かったなぁとか共感出来る部分が多いです。
    当時の中学時代は、沖縄に関してはビッグマンが今よりも多かった気がします!
    引き続き続編も楽しみにしております!

    • jkさん

      共感して頂き、嬉しいです^^
      当時沖縄もけっこうサイズのある選手がいましたよね!
      全中での沖縄チームとの対戦のお話など、
      続編楽しみにしていてください。^^

  • 視聴者からのコメント

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