大きな影響を受けた人:小野秀二さんについて

中川です、

今思えば、あり得ないぐらい
濃い経験をさせていただきました。

自分のバスケ人生において
凄くインスピレーションを受けた方がいます。

それは、
小野秀二さんです。

小野さんは、
秋田県能代市出身のスター、

高校時代は、
能代工業で3冠!

全日本代表でも活躍され
指導者としても、

愛知学泉大、トヨタ自動車、
日立、アスフレ東京などで
ご活躍されました。

今は母校能代工業で
監督をされていますね。

その小野さんです。

実は僕、
小野さんに3度バスケットを
教わったことがあるんです。

一つは高校時代、
地元山口のエンデバーという育成キャンプで、

あのときはDEFの足運び、
パッシングなどファンダメンタルを教わりました。

凄く基礎を大切にされるんだなー、
という印象を受けました。
(小野さんの動きは洗練されててキレイ!)

もう一つは、
実業団の九電時代。

小野さんがHCをされていた
日立さんとの関係で、

特別にうちのチームに
クリニックに来てくださることに!

当時バリバリの
現役プレーヤーだった
佐藤稔浩さん、菅さんと
3人でお越しいただき、

最後、どういう流れだか、
ハーフの3×3を
小野さんも混じってやることに。^^

小野さんは
当時いくつだったのだろう?
50歳ぐらいですかね?

ふつうにプレーの身のこなしと
パスや選択の意外性が
3:3の中でもヤバかったです!

佐藤さんと菅さんと組んだ
いぶし銀チームに、
いなされてしまいました・・><

これがプロかぁ!

マジで最高の時間でしたね!
なにげに一生忘れられない思い出です。

もう一つは、
地元山口での国体です。

2011年が僕の地元山口が
開催県でした。

自分はそのとき
成年男子として参加していて、

そこに小野さんが
特別顧問としてスポット指導に
当たってくださいました。

ある日、
5on5を教わっていたときのこと、

セットの崩しから
マニアックなオプションが次々と・・・

うおー!なんだこれ!
(まさに小野ワールド)

生粋のPG脳の小野さんから、

相手を欺くプレーの発想や概念を
たくさん教わることが出来ました。

相手がこう来たらこう!

この理詰めで
柔軟な発想が面白く、

フリーでこれだけ
緻密な判断が出来たら楽しいだろうなぁ。。

どうやってチームに落としこむか!

考えながらワクワクしたものです^^

選手としても
コーチとしても
リスペクトしていた小野さんですが、

僕は、もう一つの側面から
尊敬していました。

当時、
会社員をやっていた僕は、

バスケだけでご飯を食べている、
プロコーチの方に触れたのが
このとき初めてで、、、

東京から来た、

バスケで生きている人
のオーラをひしひしと感じ、

自分もこんなふうになりたいなぁ、
どうやったらなれるんだろう・・

と羨ましく思ったりもしました。

なんだか住む世界が違う人と
交われている感覚でした。

国体の決意ミーティングでは、

遠方から来てくれた、
小野さんの気持ちに応えるためにも
全力でがんばりましょう!

とか、クサイこと言ったと思います ^^;

それぐらい本当に感謝していました。

・・

弟の和之も
小野さんにお世話になり、

和之が34歳、
プロ選手としての晩年、
アースフレンズ東京Zで
監督・選手の関係でお世話になりました。

アスフレの練習も
見学させていただきました。

小野さんに
色々話かけていると、、、

「お前なんでそんな普通に会話できるん?」
と、和之にビックリされましたが、

和之は、
プロの現場のガチンコの関係・・・

僕とは全然違った緊張感が
あったのでしょうね ><;

・・

2020年、
小野さん率いる能代工業の
校名変更で揺れたとき、

実は反対署名をした一人です。

これには賛否両論あると思いますが、
個人の想いを書かせてもらうなら、

正確には、名前の変更に
抗ったのではありません。

僕らにとって
能代工業」って特別で、

必勝不敗の能代工業は、

全国を目指す僕らの先に
必ず存在していたんですね。

国体では田臥さん率いる
能代工業と対戦もしたし、
(83:30でけちょけちょにされました><)

僕らの時代は、
いつも全国の頂きに能代がいました。

月バスにも、
テレビの中にも、
『SLAM DUNK』の中にも
常に能代工業がいました。

潜在的なレベルで言うと、
意識しない日は1日もなかったと思います。

能代工業は、
あのときバスケで高みを目指した
高校生だけじゃなく、

子供から大人まで
バスケを愛するファンみんなにとって

バスケとセットで
記憶に焼き付いている、
大仰でも何でもなく人生の一部だと思うんです。

だから、、、出来るなら、

「能代工業」
というレガシーが、

触られることなく、
そのままの形で残って欲しい!

この想いを署名に乗せた次第です。

2020年、
能代工業として臨んだ
最後のウィンターカップ、

残念ながら敗退となりましたが、

最後は小野秀二さんで良かった。
これを個人的にすごく思いました。

そんな感じで・・・・

今日はツラツラと

中川が
選手として、コーチとして
強くインスパイアされた、
小野秀二さんについて
書かせていただきました。

僕の今の活動に
大きな影響を与えてくださった方です。

とても個人的なお話でしたが、

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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考えるバスケットの会 会長 中川直之
学生・社会人で10度の日本一を達成するなかで培った、”考えるバスケット”を全国のさまざまなプレーヤー、コーチに広める活動を行っています。

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