2度の大ケガを乗り越えた後輩へ。

中川です、

全国3か所合宿を終え、
最近の意識の向き先は、

母校専修大のインカレにありました。

結果からいうと
悔しい結果となりました(02:31):

日本一を目指して取り組んでいたからです。

残り0.2秒、
ケニー選手は本当に
しんどい経験をしたと思います。

ですが、

彼ならもっと強くなって
上を目指せると思います。

あの経験があったから・・

そう振り返れる日がくることを僕は願っています。

・・

で、

「もっと考えてプレーすれば良かった・・」

これ、
大学4年のインカレで
僕が今も悔やんでいることなんです。

(日本一になれていたかも)

18年前の
インカレ決勝で慶應に負けて、

あのときの悔しかった思い出は、

今も消えることなく、
思い返すことがあります。

レベルが上がれば上がるほど、
考えてプレーしないと勝てない。

そのとき思いました。

僕の大学時代、

チームはやや
能力任せなところがありました。

自分はPGで、
2ガードを組んでいる、
エース和之の動きを捉える目はあった。

だけど、チーム全体をもっと

有機的にコントロールし、
ゲームを運べていたかというと・・

そこのプレーメイクに
自信を持てていたかというと・・

それはNoでした。

あの時の僕に足りなかったのは、

もう一歩踏み込んで考えて
ゲームメイクすること、

胸を張って
それを指示できる自分への自信です。

当時、
膝の前十字靭帯断裂の
ケガからの復帰となる、
最初であり、最後の大会でした。

このときは
学生最後のコートに立てる、

喜びと緊張と興奮と・・周囲の期待など

色んなものを抱えながらプレーしました。

病気の母も見に来てくれていました。
https://bit.ly/3iSieph

(絶対に勝ちたかった・・)

(日本一になりたかった・・)

今も思い返すこの時の試合ですが、

それから18年後・・

当時の僕と同じような境遇で
インカレのコートに立っていたのが、

今年、PGを務めた、
4年生の喜志永修斗です。

豊浦出身の喜志永は
地元下関からの後輩であり、

今年の代では
キャプテンを務めていました。

僕と同じ
膝の前十字靭帯断裂を
この大学の間に2度も経験しています。

喜志永の
今年にかける想いは相当なものでした。

リーグ戦終盤から
コンディションが整い始め、

LINEでもちょくちょく
アドバイスを送っていました。

バスケが出来る喜びと、
チャレンジを噛みしめている
喜志永を見ていると、

なんだか昔の自分を見ているようで

本当に勝って欲しかったです。

以下は試合後の
喜志永のインタビュー:
https://bit.ly/3VPKjw6
(自分にベクトルを向けてます)

で、実は今日、
会って声をかけてきました。

早速次のステージを見据え、
ワークアウトをしていましたね。

喜志永は
自分の考えをしっかり言葉にできる人間です。

つねに周りに良い影響を及ぼそうと
考えて動ける男なので、

きっと彼はこの先も、
さらに高いステージで
成長した姿を見せてくれるでしょう。

バスケって大人になってから
 どんどん上手くなるぞ

動けなくなってからが
 もっと上手くなる!

そんな自分の経験も伝えました。

本当にこれからの活躍を応援しています。

専修大の皆さま、インカレお疲れ様でした。

優勝した東海大学さん、
素晴らしいディフェンスでした。

インカレを見ていて、
自分もチャレンジをしていこうと思った次第です。

やっぱりバスケは最高です。

感動をありがとうございました!

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考えるバスケットの会 会長 中川直之
学生・社会人で10度の日本一を達成するなかで培った、”考えるバスケット”を全国のさまざまなプレーヤー、コーチに広める活動を行っています。

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