「バスケと仕事どっちが大事なんだよ!」
あなたなら
どう答えますか??
こんにちは、中川です。
お待たせしました!
<前回>からの続き。
僕が好き・得意な”志事”
バスケットを教える
プロコーチを志した理由について
いよいよ踏み込んで書いていきたいと思う。
さて、、、
冒頭のこの言葉、
「バスケと仕事どっちが大事なんだよ!」
先輩社員に言われたこのセリフ。
長い会社員人生を振り返って
もっとも忘れられない出来事の
一つとなっています。
まさに自分の会社員時代を
象徴するような
ここでのやりとり・・・
(ば、バスケです・・)
と言えるわけがなく・・、
「し、仕事です・・」
口から出たのはこの言葉でした。
ただ、、
本音かどうかで申し上げますと
完全にじぶん嘘を言ったと思います。
(もう時効ですよね><)
なぜならば・・・
そのとき10日後に
天皇杯を控えていたのです。
「練習に行かせてください・・」
定時過ぎに
これをお願いしたときに
返す刀でガツーンとやられたのが
さっきの言葉です。
天皇杯って
僕らバスケットをやっている者としては
夢のような大舞台です。
仕事をしながら
みんなで苦しいゲームを乗り越え、
やっと手に出来た晴れの舞台。
ただ、僕はそのとき
全くと言っていいほど
練習に行けていませんでした。
ゲームの成否を握る
司令塔ポジションの自分が
全く練習に行けていないのです。
これは
バスケのことを考えると
全くよくない状況です。
ぶっちゃけ心の中では
こう思いました。
「天皇杯行ったことあるのかよ・・」
「練習しないと無理なんだよ」
「練習いかせてくれよ」
ただ、
僕の口から出てきたのは
======
仕事です・・
=======
つまり、
バスケなんて仕事に比べたら
無価値で何も優先すべきものではありません。
という言葉でした。
これは
嘘を言っている気がしました。
「世の中って、なんか難しいなぁ・・」
実は人生で一番悩み苦しんだのが
会社員時代のときです。
何かと多感な
思春期どころの話ではありません。
語弊を覚悟で
言わせていただきます。
「なんで好きでもない仕事を
しないといけないのだろう?」
「なんでこれまで全力で
取り組んできたバスケットは
無価値なのだろう?」
素朴にこれを毎日考えていました。
その答えは
見つかるわけはありません。
世の中は
会社の仕事のほうが
何よりも優先すべき大事なことに
決まっているからです。
ただ、
モヤモヤは
全く消えることはありませんでした。
この腹落ちしない感覚を
例えるとしたら、
なぜ自分は
好きでも得意でもない
サッカーのボールを蹴りに
毎日会社に通っているのだろうか?
という感じです。
(ニュアンス伝わりますかね・・><)
毎日むちゃくちゃ
モヤモヤするのです。
いつになったら
このモヤモヤがなくなるんだという、
心の底からのモヤモヤです。
会社に入った初日から
それが最大の悩みでした。
石の上にも3年と言いますが、
いつか消えてなくなるものと
思っていたのに、
3年経っても、5年経っても
一向にモヤモヤが消えないのです・・・
何で毎日会社に行ってるんだろう?
26歳ぐらいから
本気で悩むようになりました。
人生の比重の多くを占める、
仕事の時間。
^^^^^^^^^^^^^^
これについて
違和感しかないのです。
一つ間違いに気づきました。
それは間違った軸をもって
会社に入ったことです。
「バスケ部がある会社に入りたい」
物差しが完全に
”バスケ起点”になっていたので、
仕事選びについて深く
考えなかったことが問題でした。
「もっと自分らしく社会に貢献できる
仕事がしたいんです・・」
26歳のときに
久々にお会いした
大学バスケ部の先輩に
なんとなくこんなことを
口走ってしまったんです・・・。
すると、、
猛烈な勢いでその先輩から
こう切り返されました。
「おめぇの自分らしくってなんなんだよ!
ナメたこと言ってんじゃねーよ」
・・・・
・・・ぐぅぅ
…震えました(TT)
バッチバチの体育会だったので、
言葉はもろにこの感じです(泣)
この方は立派に会社勤めをされていて、
プライドを持って
仕事に取り組まれていたので、
僕が言うことは
かなり稚拙に聞こえただろうし、
腹が立ったに違いありません。
ただ、
僕が正直な気持ちを
言っていることに違いはないのです。
嘘を言っているのではありません。
「お前の自分らしくってなんなんだよ?」
それ以降、
先輩から言われたこの言葉が
僕の頭の中を反芻するようになりました。
…と同時に
(口先だけのやつにはなりたくない。)
(自分らしい仕事を見つけてやる!)
そう強く思うようになりました。
仕事もしっかりこなすことを大前提で、
26歳の頃から
会社以外の勉強を
たくさんするようになりました。
将来の自分につながる
大量の自己研さんです。
毎日朝の3時に起きて、
出社前の8時までの5時間、
TOEICとか、
コーチングの通信講座とか
読書とか、
会社の業務とは
別のことを毎日膨大に
勉強していました。
先輩に指摘された、
「自分らしい仕事・・」
これにつながる何かをイメージし、
片っ端からガムシャラに
手を付けていきました。
本棚は
実用書、歴史書、小説、資格本、参考書などで
あふれ返りました。
起業系の本もたくさん読みました。
TOEIC系の試験問題は
かなりの量を解きました。
口が筋肉痛になるほど発声練習もしました。
単語も12000語ぐらい暗記しました。
はっきりと
イメージは掴めていたのです。
「自分の得意なことを
人に教える仕事がしたい・・」
そこにつながる、
表現力・思考力・言語化力・プレゼン力・・etc
これらを磨き、トレーニングし続ける
必要があると感じていました。
その後も、
会社でのモヤモヤが
晴れることはありませんでしたが、
今思えば、
答えは簡単だったなぁと思います。
単純に好きではなかったからです。
(正直に申し上げます)
・・
・
時が経つのはあっという間です。
気がつけば20代を終え、
30歳になっていました。
30代になると
もう時間の流れは止まりません。
ジェットコースターのように
速度を上げ加速度的に
年を取っていくだけです。
30歳って自分の
人生について思いきり
悩み考え込むときです。
何かを変えるなら今しかない!
今までと同じ生き方・選択をしていては
これまでどおりの人生が続いていくだけだろう。
どうシミュレーションしても
このままの状態で、
劇的に何かが変わる絵が
想像出来ませんでした。
もし、僕が
この先も自分に
嘘をつき続けていけば、
取り返しのつかない
人生を歩むことになるんだと
直観で分かりました。
…なんだか
泣きたくなりました。
鬱積してきたものが
爆発しそうで、
自分を抑えられなくなりました。
大人になったら
フワフワしていてはいけません。
理性をもった大人の頭で
「現実社会」と向き合い、
そして、落としどころを
決めていかなくてはいけません。
それを理解し、
自分に何度も何度も言い聞かせ、
あらゆるシミュレーションを
何百周も自分に行ったあと、
僕が取った選択は・・・
会社を辞めること。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
これでした。
悩み苦しみ出した答えは、
会社を辞めて起業することでした。
僕は幼稚で、
社会不適合者で
頭のネジが外れているのかもしれない。
でも、
これ以上自分に嘘をつくことは
出来ませんでした。
今までの人生の流れを断ち、
新たな挑戦を始めた頃は
多くの方に当然このように言われました。
「九電やめるなんて、まじでバカだ」
「気でも触れたか」
「バスケなんかで食ってけるわけねーだろ」
同情の目線、
哀れみの目線、
心配してくれる目線、
否定的な目線、
色んな視線をうけましたが、
僕が人生をかけて
やりたかったことは
どう考えても、
やはりバスケットしか
なかったのです。
バスケットを仕事にする。
~~~~~~~~~~~~
こうして20代の間、
ずっと苛まれてきた
モヤモヤの人生から
脱出することが出来ました。
・・
・
以上が、
自分の人生の舵を切り直し、
プロコーチを志すようになるまでの経緯です。
大企業をやめ、
いばらの道を歩き始めた
僕のその後については、
また次回以降に
詳しく書きたいと思います。
(第3話はこちら)
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