【其の十一】実業団でゼロから日本一になった話

こんにちは!
考えるバスケットの会 中川です。

お待たせしました!

大好評の社会人バスケシリーズ
実業団でゼロから日本一になった話

【1話】
http://doll-ex.jp/L3452/c0/1t2171
【2話】
http://doll-ex.jp/L3452/c0/1t2201
【3話】
http://doll-ex.jp/L3452/c0/1t2221
【4話】
http://doll-ex.jp/L3452/c0/1t2241
【5話】
http://doll-ex.jp/L3452/c0/1t2261
【6話】
http://doll-ex.jp/L3452/c0/1t2291
【7話】
http://doll-ex.jp/L3452/c0/1t2311
【8話】
http://doll-ex.jp/L3452/c0/1t2331
【9話】
http://doll-ex.jp/L3452/c0/1t2351
【10話】
http://doll-ex.jp/L3452/c0/1t2381

今日は第11話目です!

今回は僕が
日本一になる前に迎えた
母親との最期の思い出です。

少しセンチな内容ですので
興味のない方は読まないで下さい。

読まれる方はハンカチをご用意下さい。

・・

9月より2月!

年に2回ある全国実業団!

次は絶対優勝したる!

上昇志向の仲間と
さらに強い気持ちで
冬の全国に備えていました。

2月は
4日で6試合!

最終日(準決・決勝)が
2試合とかなりヘビーなのですが^^;

それに耐えうる練習をしてきたし、
気持ちもさらに強くなった。

練習の締めのラントレでは、

本来10セットで
過呼吸&乳酸地獄になる
超ハードなトレーニングを

僕は12セットまで
余裕でこなせる体力を
このとき作っていました。

2月の全国に向け
準備万全、気合も満タン!

組み合わせを
見てからはもう、、
武者震いが止まりませんでした。

2月にかける想いは
9月の3倍くらいあったと思います。

必要な準備も
バッチシ行ってきました。
(備えあれば絶対に憂いなし!)

・・

そんな
大会をひかえた1週間前。

山口の実家から1本の電話が・・。

(このとき胸騒ぎが
したのを覚えています。)

…親父からでした。

(ここから一気に
センチな内容となります。)

「明美(母親の名前)が
もうダメかもしれん・・
直、帰ってきてくれ!」

闘病中の母の
様態が悪化したという連絡でした。
(母はこのとき自宅療養中でした)

1週間後に全国を控えた状態。
しょうじき、
練習に一番集中したいときです。

ですが、親父からのSOSを受けて
会社の上司にすぐさまお願いし、
山口の実家に飛んで帰りました。

家に着いたのは
22:00。

親父が言っていたことの
意味を理解しました。

そこからは
壮絶でした。

翌朝、
母の発作が収まらなくなり
救急車を要請。

僕が一人帯同し、
病院に付いて行きました。

救急車のなか、
凄まじい苦しみ方をしている
自分の母親を見ているこの時が
人生で一番辛かったです。

(逃げたい・・)

それぐらいに
見ているのが辛かったです。

ご経験ある方なら
ご理解頂けるんじゃないでしょうか。

・・

うちの母は
言いたいことをはっきり言う
裏表のない人間でした。

いま、僕が昔を
振り返っても

「え、そんなこと言っちゃうの?」
ってぐらい

まっすぐ過ぎて、
どちらかというと
要領が悪いほうの人間だったと思います。

救急車で病院へ
運ばれたあともずっと

私は死なんよ!早く治してよ!!
と医者に文句を言い続けているのです。

とんでもなく苦しそうな
状態なのに・・・。

うちの母親は闘っていました。

「息子さん、この状態は
よろしくないです。」

お医者さんに
鎮静剤を投与され、
母ちゃんは意識が朦朧。

しばらくは
音にならない声を出していましたが、
徐々に薬が効き始めたのか、
いよいよ何も喋れなくなりました。

ただ、僕の言っていることは
聞こえているみたいで
うなずいたり目で合図したり
こちらに返してくれるのです。

病院の一室に
母ちゃんと二人きり。

僕はこのとき悟りました。

いまこの瞬間が
自分の母親との
最期の時間になるのだろうなと。

母への最期の想いを
家族を代表して伝えることにしました。

何から何を話そうか。

とにかく
これまでの感謝の想いとか
楽しかったこととか、
1秒も途切れることなく
話し続けていたと思います。

まだ生きてくれている
この時間のなかで、

少しでも母ちゃんが
喜びそうなことを
ひたすら言葉にして伝え続けました。

「参観日で一番きれいだったよ・・」

「ハンバーグがマジで上手かった。
練習から帰ってくるのが楽しみだった」

「和之も健太郎(兄貴の名前)も言ってたよ」

とか・・

正直ここで書いてても
恥ずかし過ぎる
内容なんですが、><;

自分をこの世に生み、
育ててくれた親との最期です。

言葉を選ぶときじゃ
なかったです。

家族全員の代弁者として
とにかく母ちゃんが
喜んでくれそうなことを
言い続けました。

親父の分も
兄貴の分も
和之の分も
じいちゃんばあちゃんの分も

ぜんぶ伝えました。

・・

そうしているうちに
手を握る強さが
少しずつ弱まってきました。

1時間ぐらい母ちゃんと
時間を過ごせたと思います。

最後は親父が駆けつけ、
母ちゃんを抱きしめたところで
ようやく安心したのか
静かに天国へと旅立っていきました。

・・

二日後。

通夜と葬式を行いました。

ここで
すごく嬉しいことが
ありました。

九電バスケット部の全員が
忙しい中
うちの母親のために
線香を上げにきてくれたのです。

平日にもかかわらず
仕事が終わって
はるばる福岡から
それぞれのタイミングで
駆けつけてくれました。

(深夜に来てくれた方もいました。)

一つ上の平山先輩は
うちの母親を見て
自分のことのように泣いていました。

(どんだけ良い人なんだ、この人は++)

監督の藤本さんも
うちの母親と年齢が同じこともあり、
複雑な表情をされていましたね。
(このとき母が49歳)

色々心の整理は要りましたが、
無事母を送り出すことが出来、
正直ホッとした自分もいました。

・・

少し脱線してしまいましたが、、

これにて
母親のお話は終わりにします。

ここまでお付き合い頂き、
ありがとうございました!

いざ!2月の全国へ。

ここから気持ちを切り替え
日本一に挑みます!

母親に見せたかった日本一。

この2月の大会は
凄いことになりました。

チームのみんなの
団結力が半端ないのです。

最高の仲間たちと臨んだ全国大会。

次回、奇跡のような
出来事が起こります。

当時の映像と併せて
しかとご覧下さい。

(つづく)

(★12話はこちらから↓↓)
http://考えるバスケットの会/episode12

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考えるバスケットの会 会長 中川直之
学生・社会人で10度の日本一を達成するなかで培った、”考えるバスケット”を全国のさまざまなプレーヤー、コーチに広める活動を行っています。

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